原田さんにはモンマルトルが良く似合う。観光用とはいえ、いまだに葡萄畑だって残っているパリの周縁の丘の上。その一角を占める洗濯船と呼ばれたアトリエを仕事の拠点としてもう何十年になるか。わたしが留学していたとき、アパルトマンが近くだったこともあり、夜になると無聊を託って将棋を指しに通ったりもしたのである。そのころ原田さんは、何年も黒一色と見えるタブローを描き続けていた。それはけっして抽象でもなければ、アンフォルメルでもなかった。むしろ師の山口長男の遺伝子も入っていたのだろうが、抽象を超える絵画そのもののリアリティの追及とわたしの目には見えた。当時、原田さんは、「今日、街路ですごい扉を見たんだ。あの存在感に勝たなけゃなあ」とよく言っていた。パリの壁と扉を描き続けた佐伯祐三のように、原田さんもまた、絵画を窓にして向こうの景色を描くのではなく、それを扉にしてその向こう側に入っていこうとしたのである。それはたぶん想像を絶する厳しい闘いであったはずだ。その闘いをずっと遂行してきて、いまの原田さんには、まるで古武士のような風格が漂っている。にっこりと笑って、しかしその笑いの背後には、激しく燃える刃がきらりと光っているのだ。今回の日本での展覧会、長い格闘の時間が生み出した、まるで雨上がりにからりとした晴れ上がりの趣を湛えてわれわれに微笑んでいる。 |