「心が落ち着かない毎日だった」自粛の日々
能島先生は、上述の学校以外にも、大学の非常勤講師、カルチャー教室の講師と、日々さまざまな世代の人びとへの指導に明け暮れていた中でおきたコロナ禍。いつもと違う日々のなかでは、たとえ制作に当てられる時間があっても「心が落ち着かない毎日」は、辛い日々だったことでしょう。
自粛期間中、作品制作以外になさったことをうかがうと、
と、制作以外でもなかなか思うようにいかなかったとのこと。とはいえたぶん、どこか泰然としたところも見受けられる能島先生(あくまでも筆者の主観ではありますが)、こうした出来事にも悟るがごとく「慣れて」いったことと推察。
能島浜江先生は東京生まれ。祖父(康明)の代から父(和明先生・日展会員)、叔父(千明先生・日展会員)と日本画家の家に育ち(妹・千晴先生も日本画家)、多摩美術大学大学院日本画研究科を修了。大学在学時から日展に出品をし続け、2004年に特選(07年にも受賞)、日春展では1998年に日春賞を受賞されるなど日展を中心に活躍されています(現在会員、日展審査員3回)。日展以外でも、こちらも大学在学時の92年に、東京セントラル美術館日本画大賞展で佳作賞、94年の大学院修了の年には神奈川県美術展県議会議長賞を受賞、96年には第1回東京日本画新鋭選抜展で奨励賞を受賞されるなど、俊英として日本画の世界を歩んできました。
最近でも、2016年に菅楯彦大賞展で佳作賞一席・百花堂賞を受賞され、日展、院展、創画会などの日本画系公募展の会派を超えた、現在日本画研究会での作品発表(16年東京、17年京都で開催)など、日々研鑽を積まれていらっしゃいます。
昨年の日展では『せんにん』という、台座(?)に座った女性像に、横にネコが添い寝をしている(地面と空には大きな星々が枝についた草々とともに描かれていて、空にはさらに不思議な生物がたゆたっている)心ときめきなごむ、それでいて、どこか心地よい緊張感を味わわせてくれる作品を出品されていました。
(写真ご参照)
制作の裏側には小さき命のやわらかな灯の明滅のドラマがあり、作品に、永遠の生が描かれていました。
今年の日展では、2匹の新しい命・保護ネコたちが描かれるのか、興味を抱くところではあります。
「制作する事は楽しいし、制作できる事は嬉しい」
日展での活動が制作の柱になっている能島先生。日展では会員をはじめ出品者の作品発表はもちろんのこと、広報誌の編集・発行、イベント活動など、芸術文化の普及活動を、ご出品なさっている先生方も一緒になって行っています。
その活動のなかで、毎年夏に催されているイベントにご参加されたとのこと。
絵を描く喜びは、画家の原点でもあり、創作する原初的な動機のひとつでもあります。さらに、「子ども達が楽しそうに日本画制作をしている様子」をご覧になって、新作への「新たな卵」を得ることにもなりました。
事に仕える=作品を作り続ける
教育者でもある能島先生は、コロナ禍で以降の日々の授業や日展の〈One day Art〉への参加経験から、
「制作する体験」は、技術を学ぶこと以外に人間的に成長させてくれる。デジタル化によって、ともすると、成長の場が損なわれてしまいかねないのではと危惧されていらっしゃいました。
能島先生はお仕事の上でも、子どもだけでなく、人間の成長の場に立たれていらっしゃるだけに、コロナ禍によって、重い課題が目の前に突きつけられたのかもしれません。
とはいえしかし、教育と実践(作品)を長年されてきているおひとり。ここで思い起こされたのは、以前おっしゃっていたエピソード、土屋礼一先生(日展副理事長。〈礼〉は正式には新字のしめす扁に旁は豊)のお話くださったおことば。土屋先生が能島先生に、「仕事というのは事に仕えると書きますよね」とおっしゃった、この「事(=芸術、日本画)」に「仕える(=作品を作り続ける)」ことで、「芸術」への学びの楽しさや美を見ることで得られる感動を見せてくれることでしょう。
(秋分の日を過ぎた)現在、今年の日展は開催予定となっています。現在も出品作品である新作、「新たな卵」を孵すような制作を続けていらっしゃることでしょう。能島浜江先生のこれからの作品に目が離せません。 |