会心の作が美術展で賞を獲る
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大久保佳代子先生 |
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『木漏れ日』 水彩4号大 |
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『秋薔薇』 水彩8号大 |
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小さい頃からものを作ることが好きだった大久保先生。幼少期の頃はおままごとで泥団子を作ったり、花から色水を作ったり(花びらを水に入れて擦り混ぜて作る)していたそうです。
漠然と画家への道を志していたと述懐されたのは、
「小学校5、6年の時の担任の先生が、工作がとても上手で、私のクラスだけの特別授業で奴凧を作ったことがあるんです。竹籤と小刀を用意して、先生が竹籤を軽くあぶって、曲げやすくして、ひょいひょいと骨組みを作りました。それを見よう見まねで、ほいほいつなげてみたら案外上手くいって、和紙の取り付けをして、絵を描きました。
本物に近い物が作りたくて、オリジナルではなく〈本物の〉奴凧を調べて、侍の絵を描きました。
いざ、凧揚げに行くと、すごく高く飛びました。ひとつのクラスだけのイベントだったにもかかわらず、他のクラスの子たちがベランダで振り向いてくれていたような気がします。誰よりもバランス良く遠くまで飛んだので、それだけでも嬉しくて嬉しくてたまらなかったのですが、その年の美術展に出品されて、特選を取ったんです」
という、創作したもの(作品)が自他ともに認められるくらい素晴らしいもので、それが美術展で賞を獲る。現在の大久保先生の画家としての活動のひとつのかたちを先取りしたようなエピソードは印象深いものがあります。
光風会展や日展へは、お子さんをモチーフにした人物作品を主に発表し続けている大久保先生。その最初は高校生時分の公募展出品作から。
「私が人物をテーマに描きだしたのは、高校1年の埼玉県展制作の時です。まだ、油彩作品は3枚目で、この時は、いきなり50号のキャンバスを渡されました。先輩たちは慣れた様子で、静物などに取り組んでいましたが、私は、この大きさ(116.7×90.9cm)なので、自画像を描けば埋まる、と思って等身大の鏡を置き描きだしました。たまに、指導してくれる先生が、「影は色があるんだよ」と言いました。その時(まだ油彩画3枚目)は影って、黒とか茶色とかダメなんだと思い、顔に緑や青、ピンクなどの影を入れて描きました。
その後に先生が見に来た時、「良いんじゃないか」とおっしゃったので、これでいいんだなと思ったことを思い出します。
その作品は、見事県展で入選したので、調子に乗ってしまい(笑)、その頃から人物画に魅力を感じるようになりました。
大学でも人物を描くクラスに所属して、ピエロをアバンギャルド風に描いたり、ヌードをデフォルメして描いたり、いろいろ手法や形を変えて表現することを楽しんでいました」
(大久保先生が武蔵野美術大学の学生だった頃は、中野淳、松樹路人、宮田晨哉先生などの具象系の画家と宇佐美圭司、前田常作先生などの抽象系の画家が教授陣にいらっしゃって、遠藤彰子先生〈現在、同大学名誉教授〉は当時助教授だったそうで、大久保先生は宮田クラスに在籍されていたそうです)
県展ではその後、美術家協会賞、県知事賞を受賞。県知事賞を受賞した年は、1998年に初入選し現在も大作の発表の場として活動を続けている光風会展で奨励賞、日展(第42回)初入選と飛躍一年を過ごしました。そして2014年、絵の現在 第41回選抜展で銅賞を受賞し、現在の「一枚の繪」での活躍が始まりました。
描いてないと、落ち着かない
「転機が訪れたのは、家族ができたことです、長女が生まれ、専業主婦(当時)となり家事と子育ての合間にデッサンやクロッキーを描き、それを作品にしていきました。赤ちゃんの頃から長女を描いていたので、本人も身構えることなく、(制作している)私のことをぜんぜん気にせず自然体でいてくれたので、どんな絵を描いても表情が固くならずにいてくれたことはとってもありがたかったです。子供の表情は、目が澄んでいてまっすぐなんです。
成長して中学生になると、なかなかモデルになってくれなくなり、ここで長男登場です。おっとりした性格で、お姉ちゃんの後を追いかけていましたね。時代なのか、屋外で遊ばないで、家でゲームをして遊んでいましたのでよくクロッキーをしていました。そうして描くにつれ、外へ、公園や雑木林のあるところなどに散歩へ行ったりして、現在大作のモチーフになるようなものを描くようになりました。
当たり前かもしれませんが、毎日毎日、子供の笑顔と寝顔を独占した生活をおくっていって、いろいろな表情に出会い、描くことができました。
もうひとつ、一枚の繪の選抜展で受賞したことでも変化がありました。作品を雑誌「一枚の繪」で紹介していただいたことで、ちょっとは知られる存在になったことは、とてもうれしいことです。絵描きの友達が増えたのもこの後でした。
現在は、常に制作中心で、美術教師や絵画教室で指導をし、日常生活は何となくこなして、あとは制作時間に充てるようになりました。個展の予定がなくてもやっぱり描いてないと、落ち着かない感じです」
さまざまな転機が大久保作品の進むべき方向性を押し進めているかのようで、とはいえそれはひとえに、どんな状況でも描き続けているからに違いありません。 |