コロナ禍のプレッシャーに戸惑い、再び奮い立たせ、制作に没頭
……。作家によって、このコロナ禍による自粛期間中、絵が描ける方とそうでない方、さまざまいらっしゃったことを耳にしましたが、山田先生は大きな出会いがあったご様子。予定していた個展はすべて開催されたとはいえ、移動の制限のあるなか、銀座で開催されたギャラリー一枚の繪で開催された個展(2月17日〜29日)をのぞく各個展会場は出席がかないませんでした。
「ひたすら制作に没頭〜ここ数年では一番制作を」されたという山田先生。とはいえ、「コロナ禍のプレッシャー」は画家に画布へ向かわせることを苦行のごとく強いていたのかもしれません。
内面的な喜怒哀楽の裸の感情も自然に具現化
山田先生が画家を志したのは高校生時分、「父を亡くした大学進学の時、『己のスキルだけで食べていく=生きていく』必然を目の当たりにされ、名古屋芸術大学へ進学し、画家への道を歩みだしました。1994年秋、第23回現代洋画精鋭選抜展で銀賞を受賞後の翌年1月は阪神淡路大震災がおき、2011年、東日本大震災の年の7月には、復興に向けて歩み始めた仙台、藤崎で個展を開催するなど、困難なときにも、「己のスキル」である絵を描き、発表し続けてきました。
コロナ禍にみまわれた今年、とりわけ外出自粛期間中にあらたな画想が生まれたのかをおうかがいすると、
と、見る側のことを慮る心持ちが、このコロナ禍で増したがゆえに、さらなる広がりが生まれていったかのようです。そして作品を生み出す上でも、「内向に居ることによって、内面的な作品、もっと言えば美しい楽しいという主題に加えてあまりタブー回避に拘らずに哀しい、苦しいといった裸の感情も自然に具現化できるようにな」った山田作品は、より味わい深いものになっていきました。
コロナ禍以前も以降も変わりなく精進し続けるのみ
コロナ禍が未だ収束をみることがなさそうな現在、山田先生はこの状況下でどのような作品を私たちに見せてくれるのでしょうか。また、コロナ禍以降の美術界についてもお聞きすると、
と、心強いおことばをいただきました。
コロナ禍という重苦しい空気が満ちた間、「内向」の創造をすることによって深化した山田作品。来年も、展覧会場や「一枚の繪」誌上で勇気をもらえる作品が数多く見られることでしょう。 |