Hope 〜注目の若手画家〜 #7 伊土晋平Pickup

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コンクールや公募団体展など、美術界では毎年のように期待の若手が輩出されています。「Hope」では、主に〈絵の現在 選抜展〉の受賞者で、画家として第一歩を踏み出した新人や若手作家にスポットを当て、制作に際して何を思い絵筆をふるっているのか、また、画家になるまでのことから、これからの展望などをご紹介します。

日曜画家経由のプロの作家として

「Hope」第7回は、伊土晋平(いど・しんぺい)先生。
一枚の繪主催、全国日曜画家コンクールで佳作、銅、銀、金賞を受賞し着実にステップアップをして、2020年、絵の現在 第44回選抜展で銅賞を受賞。画家としての一歩を踏み出した伊土先生。その軌跡は、全国の日曜画家が憧れ、目指すところかもしれません。「一枚の繪」にも定期的に作品を掲載をされている伊土先生の制作の絵筆をとめていただき、お話をうかがいました。

伊土晋平先生

 「入門書を見ながら手探りで日本画を描き始めたのが2001年頃、それから5年くらいは手当たり次第公募に出品し、奨励賞、努力賞、佳作などにいくつか選ばれました。 もう少し、というものばかりなので、もっと上の賞が取れるまで描こう、とこの頃は思って応募を続けていて、 03年、一枚の繪主催の全国日曜画家コンクールで銅賞となり、その後、応募を続けて銀賞、佳作、金賞をいただきました。金賞受賞後に、選抜展の案内が送られてきて、入賞できるなら画家になりたいと思い、20年の選抜展に応募しました。」

1961年、大阪に生まれた伊土先生。絵を描くことは子どもの頃からしてきたものの、タブローを描くということはあまりなく、長じてより、アンリ・ルソーよろしく働きながら絵を描いてきた〈日曜画家〉。遅咲きの画家となりえた原動力、思いはどこから沸き起こってきたのでしょうか。

設計図面より完成図の景色を熱心に描く

 「絵は好きでも図工・美術の授業は嫌いな生徒で、積極的に絵に関わった記憶はなく、小学生だった頃に一度、火災予防の冴えないポスターで、消防署から表彰されたことはありました。中学ではイタリア製西部劇に夢中になっていて、教科書に鉛筆で映画の一場面をリアルに描き込み、友達に見せて喜んでいました。高校に進学すると、映画雑誌に似顔絵を毎月のように送り、選ばれると賞金がもらえるので、ちょっとした小遣い稼ぎをしていました。」

自分自身のことなので自重気味におっしゃっていますが、映画雑誌に投稿していた似顔絵で賞金が得られたのは、描写力があった証左。映画に夢中だった青年時代、というのはふと、日本画家・松尾敏男(1926〜2016)の若い頃を思い出すエピソードと似通うところがあるなと思うのは、時代が異なるし無理があるかもしれませんが(松尾敏男は後年、画家にならなかったら映画評論家になっていたのでは、とおっしゃっていたくらいの映画好きでした)、それでも、夢中になって映画を見まくり、その感動を、手を動かして表現していたのは、絵を描き続ける礎となったのではないでしょうか。

 「大学は、国語より数学が好きで理工、その中でも美術的要素のある建築、と考え建築学科のある大学へ行きました。建物より回りの景色を描くのに熱心な建築学生で、建築デザインの成績が良い筈もなく、論文発表でもその内容には関係なく、説明図に描いた木が『リアルだね』と言われただけでした。ただ、デッサンと建築設計製図の課目は、絵の練習にはなったと思います。」

早稲田大学理工学部建築学科を1984年に卒業。卒業後は建設関係の仕事に従事することとなった伊土先生。

 「仕事は建築設備の道に進み、それ自体絵とは無縁ですが、職場の立地が(絵に)深く関わりました。百貨店のはす向かいだったこともあって、昼休みに店内の画廊へ毎週のように通い、また最上階の催事場などで開催される巨匠の展覧会などが、会社の庶務へ行くと招待券が手に入ったりと、絵画鑑賞には最適でした。このとき、様々な絵を見て、自分の好きな絵がだんだんはっきりした気がします。」

東山魁夷の描く風景の美に

その頃の百貨店の催事の美術展を想像すると、海外著名作家や同時代の画家の展覧会など、華やかなことだったのでしょう(昨今流行りの写実絵画で、スペインのアントニオ・ロペス(1936〜)の展覧会も百貨店の美術館で開催されたように記憶しております)。
そうした展観によって眼が鍛えられ、画嚢を肥やしてきた伊土先生の琴線に触れたのは東山魁夷(1908〜1999)の作品でした。

 「絵を多く見るうちに、日本画の淡い色彩が好きになり、東山魁夷展を見て、それは決定的になりました。
魁夷の《夕静寂》(1974年 長野県立美術館 東山魁夷館蔵)を見たとき本当に鳥肌が立ち、日本画はこんなにも美しいものか、と感嘆しました。ほとんど青だけという少ない色使いと、輪郭が少し曖昧な感じのタッチは、常に私の目標です。そして同じく魁夷の《凍池》(1977年 北九州市立美術館蔵)にも影響されました。どう見てもシャーベット状の氷と水、深くて見えない所まで表れているようで、こんな息をのむ美しさはとても描けない、と思い至ったりしながら、幸いにも義姉が学生時代に使った日本画の道具を譲り受けることができ、自分でも描いてみることになりました。」

数多くの名画を見ているなかから立ち止まって去ることがゆるされなかった東山魁夷のタブロー。この出合いは、魁夷の風景との邂逅を語った「ただ無心に眺めていると、相手の自然の方から私を描いてくれと、ささやきかけているような風景に出会う」(東山魁夷著『風景との対話』)ということと同じ、伊土先生にとっての風景=東山魁夷作品だったのではないでしょうか。

頬が緩むような心が和む絵を

伊土先生が一枚の繪主催の全国日曜画家コンクールで最初に受賞されたのは2003年の第19回(銅賞)から。06年(22回)に銀賞、少し間があき10年(26回)は佳作、そして15年(31回)に金賞と応募のブランクをものともせずに最高賞のグランプリの一歩手前まで登りつめ、二年に一度開催されている絵の現在選抜展にチャレンジ。銅賞を獲得されました。

 「日曜画家コンクールは、(出品し始めて)意外と早く銅、銀賞が取れたので、金賞もすぐだと自信過剰になりました。(銀賞受賞から)9年後にやっと金賞をもらったときは、自己流で描いてきた日本画でも根本的な間違いはしていないな、と安堵の気持ちが大きかったです。選抜展銅賞のときは、それまで夢に過ぎなかった〈画家〉が急に現実味を帯び、とにかく嬉しかったです。(受賞後)環境の変化は何もありませんでした。家族は初めから絵画制作に協力的だったし、猫は相変わらず机に乗って手伝ってくれようとします。」

モデル以外にもお手伝いをしてくれる(?)猫と一緒に

伊土作品に欠かせないのは自然の情景とともに猫と鳥。日本画作品は古くから花鳥風月をモチーフに描かれ続けてきただけに、ある意味正当、現代の、日常の中の花鳥画を表現されています。

 「7年前から猫と暮らし始め、行動、表情などをだいぶ理解できるようになりました。鳥を眺めるのは子供の頃から好きだったので、身近な鳥の大きさ、色、行動はだいたい把握しています。
表現したいのは、生きものの仕草や表情です。毛繕い、のび、あくびなどのちょっとした動きにとても親しみを感じるからです。そして、生きものの生命の輝きと自然の美しさです。なるべく動きのある動物と、背景には人工物が見えない自然を描くようにしています。
(これから)描きたいのは、心が和む絵です。息をのむ美しさは無理なので、頬が緩むような絵が理想です。描き始めるのが遅かったため、猫と鳥を描くのが精一杯、他のモチーフまで手が回らない気がします。」

今でも映画はよくご覧になるという伊土先生。最近は「猫と寝ながらタブレット端末で、というのが最近の鑑賞スタイル」とのこと。猫を懐に抱えながら絵筆をふるった歌川国芳をなんとなく想起させますが、猫や鳥、命ある小さき者への優しい眼差しと自然への畏敬の念に満ちた伊土作品にあらわれる生きものたちが画面上でどのように動きまわるのか、今後の作品がますます楽しみになってきます。
今年は二年に一度の公募展・絵の現在 第45回選抜展が開催(秋に受賞者発表)。そして、毎年催されている第38回全国日曜画家コンクールの受賞者の発表が近づいてきました(7月)。伊土先生に続けとばかりに精進された人たちの魅力的な作品が見られることも楽しみです。

伊土先生の今後の活動予定
・作品掲載
「一枚の繪」2022年10・11月号(9月21日発売)