注目の画家―Re・markable Artist #2 田所雅子Pickup

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『春を待つ』 油彩30号(2005年 第34回 絵の現在 選抜展 佳作受賞作)

田所雅子『春を待つ』 油彩30号(2005年 第34回 絵の現在 選抜展 佳作受賞作)

『想う』 油彩M8号(2012年4月号掲載作品)

田所雅子『想う』 油彩M8号(2012年4月号掲載作品)

『冬の朝』 油彩P6号(2021年2・3月号掲載作品)

田所雅子『冬の朝』 油彩P6号(2021年2・3月号掲載作品)

『春の訪れ』 油彩F6号(2021年6・7月号掲載作品)

田所雅子『春の訪れ』 油彩F6号(2021年6・7月号掲載作品)

『やさしい風』 油彩P6号(2021年10・11月号掲載作品)

田所雅子『やさしい風』 油彩P6号(2021年10・11月号掲載作品)

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 「一枚の繪」誌上はもとより、公募展やグループ展、個展などで活躍中の作家は数多くいます。作家デビューしてから研鑽を積み、実力があり、人気が出て活躍をしていても、大臣賞などの大きな賞を獲らないと、メディアではなかなか取り上げられなくなっていきます(すみません)。そうした作家にスポットをあてて、今一度人気の理由や作品の魅力をお伝えする「注目の画家-Re・markable Artist」。
 第2回は、公募美術団体光風会や日展にご出品。個展やグループ展でも活躍中の田所雅子先生にご登場いただきました。

田所雅子先生(タイの遺跡で)

揺れ動く女性の心持ちを描きたい

 「(2019年7月開催の)ギャラリー一枚の繪の個展の時、タイトルを『可憐なもの』としていただいた時に、私はかわいい女の子を描きたいと思ってきましたが、可憐なるものを描きたいのだったのか! と改めて思わせてもらいました。
 若い女性の可憐な心情を感じさせる仕草、眼差し、髪、服、空気を描きたいと思ってます。
 最近はモデルさんを頼んでいますが、以前は二人いる娘をずっと描いてきました。初めは可愛いからと描いていましたが、娘たちも成長し彼女たちの心の揺らぎを描きたいと思うようになりました。これから希望に満ちた未来が待っているのに、悩んだり心配したり。コロコロ変わる若い女性の心持ちを描きたいと思います。また、娘や若い女性を通して、思春期のころの自分の心情を表現したいのだと思います。」

 可愛らしく、そして可憐な女性像を光風会や日展でも発表を続けている田所先生。画壇へのデビューとなった、2005年第34回絵の現在選抜展(一枚の繪主催)で佳作を受賞された作品はご息女をモデルにされた人物画。

 「日々成長していくふたりに、『ちょっと待って、そのままでいて!』という思いで描いています。多感だった頃の自分を、娘達を通して映し出し、見つめなおしているように思われます。タイの国での山岳民族の村を訪ねた旅行でも、少女達を描くのが目的でした。ただ無邪気だというだけではない、未来への希望と不安の入り交じった少女期を描きとめられたらと思うのです。」(「一枚の繪」2005年7月号より)

という、掲載の受賞コメントを読むにつけ、現在も、そしてこれからも続くであろう画家の追求の道のりの奥深さを感じないわけにはいきません。大人であれば述懐したくなる若き日のすがた。可憐さを描きつつ、思春期の揺れ動く心持ちを描くことは永遠のテーマであり続けています。

 田所先生は愛知県生まれ。小学校の時に千葉県に転居され、

「小学校6年から大学を出て結婚するまで自然豊かな千葉県の土気に住んでいました。家の回りにピーナツ畑や空地がたくさんあり、花や虫を採ったりして遊んでいた頃の記憶が強く残っています。そんな少女時代に感じていた空気や想いが絵に表れているような気がします」(「一枚の繪」2019年8月号取材記事より)

とのこと。田所作品から感じられる明るい色調(人物画でも風景画でも)は、子ども頃に自然に囲まれ浴びた、心地よい光が感じられるのはそのせいなのでしょう。

 「絵を描き始めたのは、小学校一年生の時、近所の公民館で子供お絵描き教室が開催されており、そこに通ってました。絵を描くのが楽しいというより、ピエロのような剽軽な先生に会うのが楽しみで通っていました。
 中学では、美術部に入りました。初めての授業で描いた小手毬の花の描き方を褒められて、それが嬉しくて入部しました。その頃から三歳下の妹にモデルをしてもらい、油絵を描いていました。
 高校も美術部で、放課後毎日部室に行くのが楽しみでした。一ヶ月かけて油絵を一枚かいていたように思います。また、イーゼルと絵具箱を持って、家から裏山へ出掛けて春の雑木林を描いたことを思い出します。今思えば一人で山へ行っていたのは危険だったのでは?と思ったりします。
 そのころから、うっすらと一生絵を描いていくのだろうなと感じていました。」

 画家になる、というのはまだおぼろげだったであろう高校時代。とはいえ、「一生絵を描いていく」のは画家でなければなかなかかなわない。無意識的に、高校時代には画家になると決めていたのかもしれません。

絵のために動き回ったバンコク時代

 「(社会人になって以降)絵を描いていくには=美術の教師、と単純な思考で中学校の美術教員になる課程のある千葉大学教育学部にいきました。授業は彫刻や金工、日本画や陶芸など、教材研究のためにあらゆる科目がありました。
 しかしながら、私は何を思ったか、大学に入ったらテニス部に入ろう! と体育会の硬式テニス部に入部しました。練習は厳しく、勝負事に弱い私はついていくので精一杯でした。絵を描くことなど二の次になって卒制で油絵を選択しただけでした。ただ学部を超えて友人が出来たことが宝となりました。
 教員時代は、絵を描く余裕はありませんでした。全学年を一人で受け持つ女子高の美術教師、土日はテニス部の顧問で忙しく、また、結婚もしたので目まぐるしく日々をすごしました。生真面目な性格なこともあって、一日も休むことなく本当によく働きました。夫のタイ赴任が決まって、妊娠を機に教員を辞めました。
 そう思うと一番エネルギッシュな時代に絵を描くことに向き合うことをしないで過ごしてしまいました。」

 惜しい四年間だったのか、佳き回り道の期間だったのか、結果論的に述べるならば、佳き回り道だったのかもしれない身体強化の期間。座ってイーゼルに掛かるキャンバスに向かって描くことは、実は相当な体力が入りますし、ジャンルは違えど、著名な文学者でも、若かりし頃に体を鍛えていたことがプラスにはたらいたと述懐することを鑑みると、授業では油彩以外の表現もされ、画嚢を豊かにする四年間だったのでは、というのは言いすぎでしょうか。

 「教員を辞めて出産後一年たった頃、『やっぱり絵が描きたい』と思った時、たまたま見つけた新聞広告のカルチャーの油絵教室に通うことにしました。その指導者が光風会の高橋規矩治郎先生でした。カルチャーに通う度に、義母が長女の子守りをしに少し離れた所から来てくれました。義母の手助けがなければ、絵をはじめることはできませんでした。
 『絵描きになる』にはどうしたら良いのか分からず、描き始めただけでしたが、光風会展、千葉県展と賞を頂く事で『絵描き』の自負が少しずつ芽生えてきました。
 その三年後には夫の転勤でタイのバンコクに住むこととなりました。次女はバンコクで産みました。
 8年間のタイ滞在中、毎年、光風会、日展、千葉県展の出品を続けてました。次女を抱っこし、丸めた100号の絵を肩に担ぎ、右手にスーツケース、左手に長女をつれて一時帰国してました。今思うと良くやっていたなと、若かったからできた事だと思います。
 バンコクでは、日本女性が経営していたギャラリーで個展をさせていただいたことから、小品展の楽しさを知りました。その時、絵描きのスタートラインにやっと立てたと思いました。
 その頃は、タイの遺跡に興味を持ち、アユタヤやスコータイの遺跡に出向きイーゼルを立ててナイフでゴツゴツとした絵肌の絵を描いていました。また、山岳民族の村を訪れて、民族衣装の女の子たちを描かせてもらったりと、家族を巻き込んでアクティブに動いていました。」

タイの子どもたちと

女性像を描き続けて

 1997年に日展初入選、翌年には光風会展で奨励賞を受賞。さらにバンコクでは個展を開催されるなど、またたく間に作家活動がはじまった田所先生。周囲のサポートに感謝しながら、着実な歩みを進めていきます。
 2005年には前述の絵の現在選抜展で佳作を、翌年に描きはじめの頃から出品し続けている千葉県展展で県展賞を受賞。09年に信州伊那高遠の四季展銀賞、10年に光風会会員賞、13年には金谷美術館(現・鋸山美術館)コンクールで大賞を受賞されるなど、周囲の評価の高まりが大きくなっていきました。

 「金谷美術館コンクールでの大賞受賞は、私にとって初めての一番だったので嬉しかったです。何をやってもまあまあそこそこの私でしたので。また、副賞として翌年には金谷美術館で個展を開催していただきました。130号の大作を飾っていただけた美術館での個展は、私にとって一生に一度の夢がかなったというところです。」

 その数年後、ノーベル生理学・医学賞受賞の化学者にして、女子美術大学理事長をつとめあげた大村智先生の開館された韮崎大村美術館(今年、開館15周年をむかえる自身のコレクションを中心とした美術館。現在は韮崎市立として管理運営。女子美術大学との連携協働など、若き美術家への支援も行っている)に作品が収蔵されるなど、今後のご活動にますます目が離せません。

大賞受賞の翌年に同美術館(現・鋸山美術館)で開催された個展の会場風景。

象徴的な女性像のヒントになる風景

 最近の田所先生は、栃木県の那須塩原で過ごす日々が多くなりました。

 「今は那須塩原市で3年が過ぎました。那須高原には日帰り旅行で何度か訪れたことはあったものの、住んでみると四季折々の自然の変化を見ることができ、旅行では味わえませんでした。また、東北へも気軽に足を伸ばせます。特に福島の一本桜の名所の多い事! どこからどう回ろうかと毎年悩むほどで、回りきれません。
 春の水没林や、夏の山登り、秋の紅葉やSL、冬の雪の積もった里山に、とたくさんの楽しみがあります。
私は主に女性像を描きますが、このような四季折々の自然の風景は象徴的な女性像を描く時のテーマのヒントになります。」

 幼い頃から教員になるまで過ごした自然豊かな千葉県の土気の日々を増幅させるような北関東?東北の自然、四季との対峙は、画家を次のステージに誘っているようです。可憐な女性像の後ろには豊かな風景が。四季折々の情景を通してさまざまにうつろう心持ちをうちに秘めた女性像を。田所作品のタブローから、やわらかくあたたかな色彩とともに、描かれた女性たちのさまざまな心持ちをこれからも味わえることでしょう。

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Homepage

・作品掲載
「一枚の繪」2022年6・7月号(5月20日発売)

・展覧会
Summer fair 一枚の繪人気画家コレクション展
銀座・ギャラリー一枚の繪 2022年6月1日(木)?18日(土)/日曜休廊、最終日は16:00まで
※営業時間、催し内容、開催期間が変更になる場合がございますので、ご了承ください。